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札幌地方裁判所 昭和54年(行ウ)1号 判決

原告

別紙原告目録(略)に記載のとおり

右訴訟代理人弁護士

佐藤文彦

伊藤誠一

被告

北海道教育委員会

右代表者委員長

安藤鉄夫

右代理人教育長

植村敏

右訴訟代理人弁護士

山根喬

池田雄亮

右指定代理人

三上一雄

梅川三代治

猪俣照男

河野秀平

成田直彦

被告

北海道人事委員会

右代表者委員長

浅川浩一

右訴訟代理人弁護士

廣岡得一郎

右訴訟復代理人弁護士

成田教子

参加人

北海道教育委員会

右代表者委員長

安藤鉄夫

右代理人教育長

植村敏

右訴訟代理人弁護士

山根喬

右指定代理人

島田吉之

居島孝昌

岡田宏志

坂井靖雄

柳沢力

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用及び参加によって生じた費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告北海道教育委員会が、昭和四四年九月五日付で別表(略)Ⅰ番号1ないし32の各「原告等」欄記載の者に対してした各「処分内容」欄記載の処分をいずれも取り消す。

2  被告北海道人事委員会が、昭和五三年一〇月二四日付で別表Ⅰ番号33ないし103の各「原告等」欄記載の者に対してした北海道教育委員会の右原告等に対する昭和四四年九月五日付の減給一〇分の一・三月の処分を戒告処分に修正するとの裁決を取り消す。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告ら

(被告北海道教育委員会)

主文同旨

(被告北海道人事委員会)

1 本案前の答弁

(一) 原告らの訴えをいずれも却下する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

2 本案の答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  別表Ⅰ「原告等」欄記載の者(以下「原告等」という。)は、いずれも昭和四四年九月当時、同表「学校名」欄記載の公立学校に勤務する地方公務員であり、北海道教職員組合(以下「北教組」という。)の組合員であった。

うち、大笹道郎(別表Ⅰ番号31)は、昭和五四年一〇月二〇日死亡し、その妻原告大笹佳子及び子である原告亀井典子、同大笹倫子、同大笹健郎がその相続人として大笹道郎にかかる本件訴訟手続を承継した。また、中田等(別表Ⅰ番号70)は、同年一一月一四日死亡し、その妻原告中田カヅエ及び子である原告中田有美がその相続人として中田等にかかる本件訴訟手続を承継した。更に瀧波元見(別表Ⅰ番号76)は、昭和五九年一月二九日死亡し、その妻原告瀧波喜久江及び子である原告瀧波聡子がその相続人として瀧波元見にかかる本件訴訟手続を承継した。

被告兼参加人北海道教育委員会(以下「被告道教委」という。)は、原告等の任命権者である。

被告北海道人事委員会(以下「被告道人委」という。)は、地方公務員の不利益処分に関する不服申立に対し、裁決又は決定を行う権限を有する行政委員会である。

2  被告道教委は、昭和四四年九月五日、別表Ⅰ番号1ないし32の原告等(以下「原告木村等」という。)に対し、同表「処分内容」欄記載の各処分(以下「本件処分」という。)を、同表Ⅰ番号33ないし103の原告等(以下「原告渋谷等」という。)に対し減給一〇分の一・三月の各処分(以下「原処分」という。)をした。その理由とするところは、原告等は、別表Ⅰ「勤務を欠いた年月日」欄記載の日に、それぞれ所属学校長に対し職務に専念する義務の免除(以下「義務免」という。)を求めた際、いずれも承認が得られなかったにもかかわらず、同表「勤務を欠いた時間」欄記載の各時間帯に同表「勤務を欠いた時間数」欄記載の各時間数、それぞれその勤務場所を離脱したものであり、右は地方公務員法(以下「地公法」という。)三二条、三五条、二九条一項に該当するというにある。

3  原告等は、昭和四四年一〇月三〇日、本件処分及び原処分を不服として、被告道人委に対して審査請求をしたところ、被告道人委は、昭和五三年一〇月二四日、原告渋谷等に対し、校長らが同原告等の前記義務免の申請に対し不承認としたことに違法事由はなく、同原告等は正当な理由がないまま勤務を欠いたものであるから地公法二九条一項に該当するが、被告道教委の同原告等に対する原処分は酷に過ぎるとして、北海道教育委員会が昭和四四年九月五日付でした原告渋谷等に対する減給一〇分の一・三月の処分を戒告処分に修正するとの修正裁決(以下「本件裁決」という。)をし、原告木村等に対しては、本件処分を承認する旨の裁決をした。

4  しかし、原告木村等に対する本件処分及び原告渋谷等に対する本件裁決は、処分理由を欠くにもかかわらずなされたもの又は違法なものであるから、いずれも取り消されるべきである。

よって、原告木村等に対する本件処分及び原告渋谷等に対する本件裁決の各取消しを求める。

二  請求原因に対する認否(被告両名)

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4は争う。

三  被告らの主張

(被告道教委)

原告木村等は、昭和四四年四月ないし七月当時、町立小中学校教員の身分を有する地方公務員であったが、それぞれ別表Ⅰ「勤務を欠いた年月日」欄記載の日の「勤務を欠いた時間」欄記載の時間帯に、「勤務を欠いた時間数」欄記載の時間数、「用務」欄記載の各用務のため、各所属学校長の承認を得ることなく勤務場所を離脱し、職務に従事しなかったものであって、同原告等のかかる行為は、地公法三二条、三五条及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)四三条二項に違反する。よって、被告道教委は、地公法二九条一項一号及び二号に基づき、同原告等の各勤務場所離脱時間の合計数に応じ、それぞれ、四八時間を超える者については停職六か月、三六時間を超え四八時間までの者は停職三か月、二四時間を超え三六時間までの者は停職一か月、一六時間を超え二四時間までの者は減給一〇分の一を六か月、八時間を超え一六時間までの者は減給一〇分の一を四か月、八時間までの者は減給一〇分の一を三か月を基準として本件処分を行ったものであり、本件処分は適法である。

(被告道人委)

1 本案前の主張

本件裁決は、原処分庁である被告道教委が原告渋谷等に対してなした減給処分を戒告処分に修正したものであるところ、原告らが原処分の違法を理由にこれを争うには原処分取消しの訴えによるべきであり、裁決取消しの訴えによることは行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)一〇条二項により許されない。よって、本訴は不適法として却下されるべきである。

2 本案の主張

(一) 仮に本件裁決取消しの訴えが適法であるとしても、原告らは、行訴法一〇条二項により本訴において原処分の違法を主張しえないものであるから、原告らの主張は理由なきものとして棄却されるべきである。

(二) 本件裁決は、以下のとおり、適法になされたものである。

(1) 原告渋谷等は、別表Ⅰ「学校名」欄記載の各学校に勤務する地方公務員であったが、いずれも同表「勤務を欠いた年月日」欄記載の日の「勤務を欠いた時間」欄記載の時間帯に、「勤務を欠いた時間数」欄記載の時間数、各所属学校長から義務免の承認を得られなかったにもかかわらず、その勤務を欠いた。同原告等が右義務免の承認を求めたのは、北教組釧路支部厚岸支会(以下「厚岸支会」という。)の設立した教育研究所が昭和四四年六月二四日開催した自主教育研究集会(以下「本件自主研」という。)に参加するためであり、各所属学校長は、本件自主研がその開催態様及び内容からみて、組合員に対する組合活動ないしは教宣活動を目的とし、これに参加することは組合活動の一環であると判断して、同原告等の前記義務免の申請を不承認としたものである。

(2) 本件裁決は、右の事実に基づき、本件自主研が教員の研修を集団的に組織して行うことを目的としていると同時にこれと不可分一体のものとして職員団体の目的達成のための活動を行うものであること、厚岸町内における教育研究集会開催の沿革、参加者の服務上の取扱いの変遷等をも考慮してなされたものであり、適法な裁決である。

四  被告らの主張に対する認否

原告等が、当時町立小中学校教員の身分を有する地方公務員であったこと及びそれぞれ別表Ⅰ「勤務を欠いた年月日」欄記載の日の「勤務を欠いた時間」欄記載の時間帯に、「勤務を欠いた時間数」欄記載の時間数、「用務」欄記載の用務で各勤務場所を離脱したことは、別表Ⅱ記載の原告等につき、これに対応する各事項は否認するが、その余は認める。その余の主張は争う。

五  原告らの反論

1  事実誤認又は処分事由の不存在

(一) 勤務場所を離れた時間帯に従事した用務について

(1) 厚岸町教育委員会との交渉出席(別表Ⅱ番号1、8、15、26、28関係)

昭和四四年六月四日厚岸支会と厚岸町教育委員会(以下「町教委」という。)との間で、勤務時間等勤務条件の問題に関し、交渉が行われ、原告木村敏信、同大東紘、同太田竹之助及び同一条美行はこの交渉に出席した。また、同月二七日には同じく交渉が行われ、原告木村敏信及び同伊藤真澄はこの交渉に出席した。右原告らが勤務を欠いたのは、そのためであって、当時適法な交渉に出席する場合は、当然義務免扱いとされていたから、これらを処分事実とするのは誤りである。

(2) 民間の教育団体の研修への出席(別表Ⅱ番号28関係)原告一条美行は、昭和四四年五月二二日民間の教育団体(以下「民教」という。)の主催する会議に出席し、勤務を欠いたのであるが、当時民教主催の会議等に出席する場合は義務免扱いとされていた。

(3) 学校用務(別表Ⅱ番号20関係)

原告越智隆司が勤務場所を離れたとして懲戒処分の対象となった日時のうち、昭和四四年六月二三日は交通公社等に赴き修学旅行経費の支払いを行い、同月二七日は釧路市内の各新聞社に赴き体育大会用のメダルの寄贈依頼をしたもので、公務出張であり、また、同年七月一六日の午後は同僚の鈴木教諭の介抱をしたもので、学校用務に従事した。したがって、これらの日時を処分事実にとりあげるのは誤りである。

(二) 厚岸中学校及び尾幌小中学校の勤務時間について(別表Ⅱ番号20ないし25、79ないし89、56ないし61、31、100及び101関係)

被告らは、厚岸中学校の勤務時間を八時から一六時四五分まで、尾幌小中学校の勤務時間を七時四〇分から一六時二五分まで、いずれも八時間(休憩時間を除く。)として、勤務を欠いた時間数を認定している。しかしながら、北海道学校職員の勤務時間及び休暇に関する規則二条によると、勤務時間は一週について四四時間とされ、厚岸町立学校管理規則一一条により、勤務時間の割り振りは各学校の特殊性等に応じ校長が定めるものとされているところ、厚岸中学校では、教職員を拘束する勤務時間として、校長が「八時から一五時三〇分まで」と、尾幌小中学校では「七時五五分から一五時二五分まで」と割り振り、月曜日から金曜日までの勤務時間は七時間三〇分と定めたのである。それ故これらの学校に勤務していた原告等が勤務を欠いた時間数は、別表Ⅱに記載のとおりである。

(三) 学校長の承認

原告等は、所属学校長らの明示又は黙示の承認を受けて勤務場所を離れたものである。あるいは少なくとも、その服務上の最終的取扱いの検討は爾後に留保しつつも、とりあえず勤務場所を離れてもよいとの趣旨の承認は得ていたものである。

(四) 義務免慣行

仮に承認がなかったとしても、原告等がその勤務場所を離れた目的は、別表Ⅰ各「用務」欄に記載のとおり、組合用務(北教組釧路地方裁判所関係超勤訴訟の対策及び準備手続期日出席を含む。)あるいは研究集会出席のため(但し、別表Ⅱ番号1、8、15、26、28及び20の原告らについては、同表記載のとおりである。)であった。そして、当時組合用務への従事あるいは研究集会への出席は、以下のとおり義務免として取扱う慣行が存在した。

(1) 組合用務の義務免慣行

釧路管内においては、北教組結成以来、組合用務のため勤務時間内に校外に出る必要のある場合、担当授業への配慮が具体的になされていて、授業への支障がないことを学校長において確認し、承認したときには、口頭の申請で義務免とされる扱いが慣行として存在した。これは、〈1〉組合活動が教育活動と不可分に結合せざるをえない、現に結合しているという教職員組合活動の特性、〈2〉教職員組合が労働組合としての団結を保持するには一定の限度で勤務時間内の組合活動が認められなければならないという特性、〈3〉校務遂行上の必要性ないし利便性から組合活動の機会に校務を処理させるという扱いが学校現場で行われていた実情などの合理性に支えられたものであり、学校現場における法的確信として、法規範たる慣習となっていたものである。

(2) 教育研究集会参加の義務免慣行

教師の自主研修権は、基本的には憲法二三条の学問の自由の保障と、同法二六条の教育を受ける権利を実現するという教師の職責から出てくるものであって、その職責の専門性の中軸をなし、教師の教育権限を実質あらしめるものである。教育公務員特例法(以下「教特法」という。)一九条、二〇条も、教育公務員はその職責遂行のため、日常不断に研究と修養に努めるべきこと、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて勤務場所を離れて研修を行うことができることを規定する。これは、勤務時間内校外自主研修を一定の要件の下に権利として保障することを明らかにした趣旨と解される。したがって、校長としては、授業に支障のない限り教特法二〇条二項の承認を与えるべく覊束されている。そして、その場合「授業への支障」とは、単に予定された授業時間の授業を欠くこと自体を意味するのではなく、年間授業計画に回復できない具体的支障を生ずるか否かという観点から考察されるべきであり、また、その際校長は、研修の自主的で多様である特質に鑑み、申し出のあった事項が一見明白に教育活動との関連性が否定される場合を除き、それが研修に該当するか否かも各教師の自己規律に委ね、その判断を尊重して承認を与えるべきである。

厚岸町においては、本件自主研まで、全町的規模で開催される教育研究集会及びそのための日常的な部会、サークル活動への参加については、参加者が各学校長に対し研究会参加の意思と日時を口頭で届出すれば義務免扱いとする慣行が定着していた。

そして、本件自主研は、七教科五問題別の分科会でそれぞれ専門的研究がなされ、各教科、地域、職場の深刻で且つ逃げては通れない切実な問題を掘り下げ、子供の健全な成長、発達を実現する立場からの取組みがなされたものであるから、その主催者が職員団体であるということは、それに参加する行為の研修性に何ら影響を及ぼすものではなく、「職員団体の業務に従事する場合」にはあたらない。

したがって、所属学校長らが不承認としたのは、右法規及び慣行に反して違法であり、本件処分はその処分事由を欠くものである。

2  懲戒権の濫用

(一) 本件処分及び本件裁決は、本事案の以下の特別事情を配慮すべき義務を怠り、処分権の範囲を逸脱した違法がある。

(本件自主研関係)

(1) 原告等は、厚岸という高度僻地の教師として、その日常の教育活動を有効に遂行するためには、地域の教師集団による教育研究を積み重ねることが不可欠であり、教師の日常の職務と不可分のものであって、その研究のために勤務場所を離れたのである。

(2) 本件自主研と同種の研究集会は、長い年月にわたり、地域の教育計画、学校の教育課程と密接に関わるものとして、厚岸における教育研究、教育実践の中で重要な位置を占めて来た。

(3) 前年度までは町の教育行政当局もこれを認知し、共同で開催して来たもので、その際は臨時休校の措置をとるという年間計画の中でその実施が考えられて来た。

(4) 本件自主研は、厚岸支会立教育研究所の主催であるが、町の教育行政当局が責務を放棄した中で、これを継続し発展させたものであり、その内容は地域の教育実践の発展に寄与するものであった。

(5) 本件自主研は、抜打ちに行われたものではなく、開催による混乱を避けるため、町の教育行政当局とぎりぎりの話合いを繰り返し、当日の各学校における事務に必要な手立てもとられていた。

(6) 原告等は、以上のような本件自主研に参加するため単に一日だけ勤務場所を離れたのであり、教育的のみならず社会的にも正当な行為であった。しかも多くの校長は、服務上の最終処理は留保しつつも、勤務場所を離れること自体は承認していたのである。

(7) 本件の懲戒処分のための調査、内申の過程において、学校日誌及び出勤簿に加筆・削除などの改ざんが行われた。

(組合活動関係)

(1) 厚岸には、組合活動に伴ない勤務場所を離れる場合には義務免扱いとする慣行があり、この慣行には、僻地における教育の特質や教職員組合の特殊性から十分の合理性があった。原告等はこれに従ったものである。しかるに、町教委は、昭和四四年四月右慣行を否認する通達を出し、これを強引に実施しようとした。しかも右慣行は全道的に存在していたが、これを否認する通達を出したのは釧路管内の教育委員会のみである。

(2) また、右通達に基づいた懲戒処分の内申は、昭和四四年七月当時、右通達の取扱いをめぐって北教組釧路支部と教育長との間で交渉が続き、その実施が一時留保されていたのに、学校日誌及び出勤簿を改ざんして行われたものである。

(3) 原告木村等が勤務場所を離れた目的は、別表Ⅱ及びⅠ(別表Ⅱに対応する部分を除く。)記載のとおりであるが、一五時以降の組合義務免は授業への直接の影響がないのであるから、これをそれ以前のものと同列に勤務を欠いた時間数に加算して懲戒処分をしたのは不当である。

(4) 原告越智隆司が勤務を欠いた理由は前記のとおりであるが、厚岸のような高度僻地において学校所在地が官庁所在地から遠隔の地にある場合には、校務と組合業務とは不可分であり、同じ機会に行うのが常態で、むしろ能率的でさえある。このような実情を考慮しないで右の時間数を勤務を欠いた時間数に加算して同原告を処分したのは不当である。

(5) 厚岸中学校及び尾幌中学校における勤務場所は前記のとおりであり、原告木村等のうちこれらの学校に勤務していた原告等(別表Ⅱ番号20ないし25、31)が勤務を欠いた時間数は別表Ⅱ記載のとおりである。しかるに被告道教委は、右二校の勤務場所を八時間であったとして勤務を欠いた時間数を計算し、本件処分を行ったものであって、同被告の主張する基準に照らしても処分の量定が不当である。

(6) また、原告丹保信子について、昭和四四年七月一五日に勤務を欠いたことが処分の対象とされているが、同日は厚岸神社の祭典日にあたっており、一時間授業後は町内会毎に数人の教員間で分担を決めて校外補導を実施することになっていたところ、原告丹保は分担割当からはずされていた事情にある。また、校外補導であるから拘束時間は不明確で、同日の行動を欠勤五時間三〇分であるとして画一的に計算するのは不当である。

(二) 本件処分には、以下のような比例、平等原則違反がある。

(1) 本件当時、釧路管内の他町村では、勤務場所内の組合活動について厚岸町と同様義務免の取扱いがなされていたのに、厚岸町管内の原告等のみが違法として処分されたものであり、原告等をねらった不公平な処分である。

(2) 原告一戸俊夫、同坂上義明、同秋元耕造、同水井清次は、超勤訴訟の準備手続期日に出頭したことが処分の対象とされているが、これは、被告道人委で行われる公平審理に申立人本人として出頭する場合に義務免が認められていたことと均衡を失する。

(3) 昭和四四年六月二七日、本件自主研について町教育長と交渉をした原告木村敏伸、同伊藤真澄及び同東出和夫のうち、同東出は処分の対象になっていないのに、同木村、同伊藤のみが処分の対象にされているのは不公平である。

(4) 昭和四四年五月二二日、民教に出席した原告一条美行、同中村二雄のうち、同中村は年休扱いとされたのに、同一条のみ年休の取消扱いとされ、処分の対象にされているのは不公平である。

(三) 本件処分は、地公法五六条違反である。

一般に、勤務場所内の組合活動を認める労働慣行は、憲法二八条の団結権、団体行動権の保障に根ざすものであって、当局は受忍すべき義務を負うところ、本件処分は、原告木村等の正当な組合活動を嫌悪し、右労働慣行を無視してなされたものであるから、地公法五六条に違反し、違法である。

(四) 本件処分及び裁決は、あまりに過酷にすぎ、著しく妥当性を欠く。

原告木村等は、本件処分により、給与、手当等の減額という不利益に加え、昇給延伸の不利益を受け、また原告渋谷等は、本件裁決によりやはり昇給延伸の不利益を受けることになった。特に昇給延伸は、生涯に亘って、永続的につきまとう経済的不利益であって、このような不利益は、原告等のなした正当な組合活動と研修参加行為に対する報いとしてはあまりに過酷にすぎ、社会観念上著しく妥当性を欠く。

六  原告らの反論に対する認否及び被告らの再反論

1  原告らの反論1(一)について

(1)の事実は否認する。原告らが指摘する日に、その主張するような交渉が行われた事実はない。但し、昭和四四年六月二七日、町教委教育長と当該原告らとの間で話合いがあったことは認める。

(2)の事実は否認する。原告一条美行は、昭和四四年五月二二日組合用務を理由に口頭で義務免の申し出をし、不承認とされたにもかかわらず、勤務場所を離れたものである。民教への出席がすべて義務免扱いとなるものではなく、民教会議の内容が教特法二〇条二項の研修に該当すると判断される場合に限り、義務免の対象となるものである。

(3)は争う。原告越智は、六月二三日及び六月二七日は組合用務を理由に、また七月一六日は支部執行委員会出席を理由に、口頭で義務免の申し出をしたが、校長はこれを承認しなかった。仮に同原告が主張するような校務に従事していたとしても、これは校長が命じたものではないから、職場離脱を正当化する理由にはならない。

2  同1(二)の事実中、被告らが原告ら主張の学校の勤務時間をそれぞれ八時間として職場離脱時間を計算したことは認め、その余は否認する。厚岸中学校では校内運用として校長が必要と認めた場合に午後三時三〇分以降の退勤を認めていた事実は存在するが、これは午後三時三〇分から午後四時まで三〇分間の職務専念義務を免除するものであって、勤務時間の終了を午後三時三〇分としたものではない。

3  同1(三)及び(四)の事実は否認し、主張は争う。

厚岸町管内においては、昭和四二年のいわゆる一〇・二六休暇闘争の統一行動に対する処分撤回闘争を契機として、教職員が組合用務に従事するため、義務免の申し出を行い、校長の承認のないまま一方的に勤務場所を離脱することが多くなったため、校長は再三にわたり年次有給休暇を使用するよう指導してきたが、これに応じない状況から、町教委は昭和四四年四月二六日、町内小中学校長に対し、「教職員の服務の適正について」と題する通達(以下「本件通達」という。)を発し、校長を通じて服務の適正を図るよう指示していた。取扱いを保留していた事実は存しない。この間、口頭義務免という事態が事実上生じて来たが、いわゆる慣行と呼ばれるような定着したものではなく、当事者間にそれによるとの明示又は黙示の合意もなかった。仮に一歩譲って義務免慣行があったとしても、かかる慣行は現行法制に抵触するものであるから、何ら法的拘束力を有するものではない。

また、本件自主研は、組合員に対する組織活動、教宣活動を目的とし、厚岸支会がその責任と財政負担のもとにその内容を決定したものであるから、組合活動の一環であって、地公法五五条の二第六項により、職務専念義務を免除することはできない。そして、教特法二〇条二項は、本属長に研修の承認に伴う授業以外の諸影響を広く比較考慮させるための裁量判断権を付与していると解され、原告ら主張のように覊束されているとはいえない。

各学校では予め校長から、組合活動の一環と認められるので義務免は承認できない旨指導していたし、各校長が取扱いを保留した事実はない。

4  同2(一)の主張は争う。

5  同2(二)の主張は争う。原告らは、管内他町村との対比をいうが、懲戒処分は、所轄の教育委員会から非違行為の内申がなされない以上、地教行法三八条によりできない制度になっている。

また、原告一条について、原告中村と比較し不公平というが、原告中村は、同日年休の申請をし、これが認められて勤務場所を離れたものであるから、原告一条とは異なる。

6  同2(三)及び(4)はいずれも争う。

第三証拠

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

二  原告らは、本訴において、本件裁決の取消しを求めるが、被告道人委は、原告らが原処分の違法を理由にこれを争うには原処分取消しの訴えによるべきであり、裁決取消しの訴えによることは行訴法一〇条二項により許されないから、本訴は却下されるべきである旨主張する。しかしながら、行訴法一〇条二項は、裁決取消訴訟において主張しうる違法事由を制限した規定であって、訴訟要件を定めたものでないから、これに違反するからといって、訴えそのものが不適法となるわけではなく、その他本件裁決取消しの訴えが不適法であるとの事由も見出し難いから、同被告の右主張は理由がない。

また、同被告は、原告らが本訴において主張している違法事由は原処分の違法であり、かかる主張は右規定によって許されないから、原告らの請求は理由なきものとして棄却されるべきであると主張するので判断する。被告道人委のした本件裁決は、原処分に違法はないが、酷に過ぎるとして、減給一〇分の一・三月を戒告処分に修正したものであるが、戒告は、減給とは質的に異なる別個の処分というべきであり、右のような修正裁決の性質は、原処分の量定上の裁量を全部取消したうえ、改めて新判断に基づいて新たな処分をなしたものと解するのが相当である。したがって、このような修正裁決があれば、初めからその旨の処分があったことになり、原処分は消滅してその効力を失ったものというべきであり、行訴法一〇条二項の制限を受けないものと解すべきである。よって同被告の右主張も採用できない。

三  そこで、本件処分及び本件裁決の適法性につき検討する。

1  原告等が、昭和四四年四月ないし七月当時(以下昭和四四年については原則として単に月日のみを記載する。)町立小中学校教員の身分を有する地方公務員であったこと及び原告等が別表Ⅱに記載する部分を除き、別表Ⅰ「勤務を欠いた年月日」欄記載の日の「勤務を欠いた時間」欄記載の時間帯に、「勤務を欠いた時間数」欄記載の時間数、「用務」欄記載の用務で各勤務場所を離脱したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  そこで、以下には、別表Ⅱ記載の各事項について検討する。

(一)  町教委交渉について(別表Ⅱ番号1、8、15、26、28関係)

原告木村敏伸、同大東紘、同太田竹之助及び同一条美行が六月四日、その勤務場所を離れた目的が広い意味での組合用務であったことは、原告らの主張からも当事者間に争いがないものと解される。原告らは、同日は町教委との正式な交渉に出席するためであったと主張するが、(証拠略)によれば、当時教員が適法な町教委との交渉に出席した場合は、各学校で町教委に問い合わせ、確認をとったうえ、義務免扱いにしていたこと、ところが右原告らの出勤簿の六月四日の項目上はかかる扱いがなされていないことが認められるので、町教委との適法な交渉がなされていたものではなかったと推認するのが相当であり、これを覆すに足りる証拠はない。

次に、(証拠略)によれば、六月二七日、原告木村敏伸及び同伊藤真澄が、同東出和夫らと共に、本件自主研に関し加藤正一教育長との間で話合いをし、これにつき原告東出和夫は出勤簿上義務免の扱いを受けていたことが認められる。これに前記町教委交渉についての出勤簿上の扱い及び原告東出については、同日勤務を欠いたことが懲戒処分の対象とされていないことを合わせ考えると、少なくとも原告東出にとっては適法な町教委交渉出席との取扱いがなされていたと推認するのが相当である。そして、右原告木村らと同東出との間でその扱いを異にする合理的理由も見出し難いから、同日の用務は、原告木村らにとっても適法な町教委交渉への出席であったと推認するのが相当である。しかしながら、この事実は、後記のとおり、本件処分の効力に影響を及ぼすものではない。

(二)  民教出席について(別表Ⅱ番号28関係)

(証拠略)及び原告藤本亨本人尋問の結果によれば、原告一条美行は、五月二二日、同中村二雄と共に民教の事務局会議に出席したことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

してみると、同原告が五月二二日一三時から勤務を欠いた理由が組合用務であるとの認定の下になされた本件処分は、事実を誤認したものといわざるを得ないが、この点は後記のとおり本件処分の効力に影響を及ぼすものではない。

(三)  厚岸中学校及び尾幌小中学校の勤務時間について(別表Ⅱ番号20ないし25、79ないし89、56ないし61、31、100及び101関係)

原告らは、校長が教職員を拘束する時間として、厚岸中学校では「八時から一五時三〇分まで」、尾幌小中学校では「七時五五分から一五時二五分まで」(いずれも月曜日から金曜日について、各七時間三〇分)とそれぞれ割り振っていたのに、被告らは右三校の勤務時間を八時間であったとして、職場離脱時間を誤って計算している旨主張するところ、被告らが、勤務時間を一日八時間として計算したことは、当事者間に争いがない。

そこで検討するに、同校勤務の原告等の勤務時間は、市町村立学校職員給与負担法に規定する学校職員の勤務時間及び休暇等に関する条例(昭和二七年北海道条例第八一号)二条及び同規則(昭和二八年北海道人事委員会規則一三―二)二条により、北海道学校職員の勤務時間及び休暇等に関する条例(昭和二七年北海道条例第八〇号)三条及び同規則(昭和二八年北海道人事委員会規則一三―一)二条が準用され、一週間につき四四時間と定められており、その割振りについては、市町村立学校職員給与負担法に規定する学校職員の勤務時間の割振に関する規則(昭和三二年北海道教育委員会規則第三号)二条により市町村の教育委員会が定めることとされ、厚岸町では厚岸町立学校管理規則(昭和三九年厚岸町教育委員会規則第一号)一一条により校長がその学校の実情に応じて割振りを定めることとされている。

そこで、厚岸中学校及び尾幌小中学校での勤務時間の割振状況につき検討する。

(1) 厚岸中学校

(証拠略)及び原告越智隆司本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く。)によれば、厚岸中学校では、昭和四四年当時、教員の職務の特殊性から休憩、休息時間がなかなか完全な形で確保できない実情や、超過勤務が日常的に行われている実情を考慮して、休憩、休息時間を勤務時間の前後に割り振り、拘束時間を七時間半とするいわゆる東京方式の採用が職員から度々要望されていたが、校長としては、休憩時間の四五分間を勤務時間の最後に割り振ることは承認したものの、休息時間を集めて非拘束時間とする点までは承認せず、あくまで勤務時間は八時から一六時四五分まで(内休憩時間を一六時から一六時四五分までとし、一六時での退勤を認める。)としたうえ、但し教員の職務の前記特殊性に鑑み、何か特別の必要のある場合には七時間半で退勤することがあってもやむをえないという事実上の校内運用をしていたことが認められる。

この点につき(証拠略)中の原告越智隆司の供述記載中には、実働七時間半の扱いが職員会議で可決され、一般化していたかのごとく供述する部分があり、同原告はその本人尋問において同趣旨の供述をするけれども、これに反する前記趣旨の(人証略)の証言に照らして採用できず、また(証拠略)中には同校の拘束時間を七時間半として計算している箇所が散見されるが、右は一週間の勤務時間を合計四四時間と定める法令の規定に反するあくまでも事実上の校内運用であるというべきで、これをもって厚岸中学校の勤務時間が七時間半であったとすることもできない。そして、他に前記認定を覆すに足りる証拠も存しないから、厚岸中学校の勤務時間(休憩時間を除く。)を一日八時間として計算した被告らの認定に誤りはない。

(2) 尾幌小中学校

(証拠略)及び原告細山勲本人尋問の結果によれば、尾幌小中学校では五月二日ころの職員会議で、勤務時間を七時四〇分から一六時二五分までとする割振りが発表されたが、前同様の教員の職務の特殊性から実働七時間半とする案が出され、これに対し多くの職員は賛成したものの、校長及び教頭は対外的に困るとの意見を述べていたことが認められる。右事実関係によれば、校長は実働七時間半の割振りを承認しておらず、前記法令の趣旨に反する職員会議での多数意見が何ら効力を有するものでもないから、尾幌小中学校の勤務時間(休憩時間を除く。)を八時間として計算した被告らの認定に誤りはない。

(四)  原告越智隆司の用務について(別表Ⅱ番号20関係)

原告らは、原告越智隆司が六月二三日、同月二七日、七月一六日午後にそれぞれ学校用務を遂行している旨主張する。そこで検討するに、(証拠略)及び原告越智隆司本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く。)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 六月二三日、原告越智は、釧路での北教組支部執行委員会に一〇時三〇分から一四時三〇分まで出席ののち、交通公社、スポーツハウス、工藤写真館等に寄って校務を処理した。

(2) 六月二七日、同原告は、釧路での北教組支部執行委員会に一〇時三〇分から一三時三〇分まで出席したのち、体育大会用のメダルの寄附集めという校務のため新聞社三社を回り、PTA体育大会費からはこの日の旅費の支給も受けた。

(3) 七月一六日、同原告は、厚岸町真竜地区での北教組支部と厚岸支会の合同会議に一〇時から出席し、午前中で会議は終ったが、当日体調が悪いとして休校し皆で行方を捜していた同僚の鈴木教諭を発見したため、午後から自宅へ連れ帰って介抱にあたり、翌日教頭からねぎらいの言葉をかけられた。

(4) 右三日間については、いずれも事前に校長に対し、組合用務で出るとの申し出がなされたのみであり、校務出張との発言はなく、校長も出張を命じてはいない。

この点につき(証拠略)中の原告越智の供述記載中には、六月二三日については事前に校長室へ行き校務もある旨をつけ加え、六月二七日は事務官からメダルの寄附を集めてほしいと頼まれたのであるから当然校長も知っていると思っていたし、七月一六日は学校全体の騒ぎとなり、当然校長も承知していると思った旨供述する部分があり、同原告はその本人尋問においても同趣旨の供述をするけれども、いずれも、これに反する前記認定の趣旨の佐藤証言及び出勤簿、学校日誌等に何ら校長も承知していたことを窺わせる記載が存しないことに照らして採用できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、原告越智の右三日間の職場離脱は、組合用務への従事が主たる目的であって、校務処理はそのついでになされたものであると認めるのが相当であり、してみると右の職場離脱を全体として組合用務のためという性格を有するものとしてなされた本件処分には、事実誤認の違法があるとはいえない。

3  原告らは、以上の勤務場所の離脱につき、所属学校長らの明示又は黙示の承認を受けていた旨、あるいは、仮に承認がなかったとしても、不承認とする扱いは法規及び慣行に反して違法である旨主張するので、以下この点につき検討する。

(組合用務関係)

(一) (証拠略)原告藤本亨、同越智隆司、同前田英吉及び同木村敏伸の各本人尋問の結果(但し、丙第一号証の4、5、8、19の供述記載及び原告藤本、同越智各本人尋問については後記採用しない部分を除く。)を総合すると、以下の各事実が認められる。

(1) 昭和四二年ころまでは、釧路管内において原告等が組合用務のため勤務時間内に校外に出る場合の服務上の取扱いについては、さしたる問題意識がなく、学校によって年休扱いとするところあり、義務免扱いとするところありで、その扱いは区々に分かれていた。そのころ、北教組本部は、組合用務につき義務免とする扱い(以下「組合義務免」という。)がどの程度行われているかを調査し、全道で昭和四一年度四一パーセント、昭和四二年度四九パーセントと、半数に近いものが義務免扱いであったと発表している。その背景には、教員という職務には日常的に超過勤務が存するため、厳格な勤務時間の規制には抵抗が生じること、釧路管内のように僻地地区の学校が大部分を占める地域では、組合用務のついでに校務を処理する場合が多いことへの配慮等があると言われている(この点につき〈証拠略〉中には、義務免扱いという事態が生じたのは昭和四二年一〇月二六日の統一行動に対する処分撤回をめぐってのことであって、それ以前にかかる扱いは見られなかった旨述べる部分があるけれども、右供述内容はこれに反する〈証拠略〉に照らし採用できない。)。

(2) その後、昭和四三年五月以降、昭和四二年の一〇・二六の処分撤回闘争と称して各市町村教育委員会と組合との間に話合いが継続して行われたが、その服務上の取扱いをめぐって、義務免を認めた事例が問題となり、これを契機に教育長会でも服務の適正をはかるべく協議がなされたほか、釧路校長会でもその取扱いについて話合いがなされ、大要以下の基本方針で組合支部への申し入れがなされた。

〈1〉 教員の服務について各町村バラバラの状態にあり、年休あり、義務免あり、ひいては口頭義務免なども出ており、これが組合としては慣行という形で進められているが、ILOが設立した今日このような慣行はもうない。

〈2〉 基本的に組合活動は年休又は組合休暇でなければならない。

〈3〉 条例制定の時点(昭和四四年四月一日施行)で各町村教育委員会より各学校長宛に正式文書をもって通達し、校長は当該学校において職員にその旨を伝え、正常化をはかる。

(3) 一方、右支部との交渉経緯等は「『教職員服務について、教職員研修について』集約経過」と題する書面をもって校長会から各校長に対し伝達され、その趣旨に則った校長からの指導も行われたが、一部ではその指導も徹底せず、後記のとおり本件通達の発せられるまではなお一部に組合義務免の扱いを容認する学校が見られた。

(4) 右のような情勢下で、町教委は、服務適正化の徹底をはかるべく、四月二六日付で管内各小中学校長に対し本件通達を発した。右通達には、次のような記載がある。

教職員の服務について一貫性を欠き、町村間あるいは学校によって取扱いの差異を生ずるなど遺憾な状態が見受けられ、このことが学校の正常な運営確保を困難にし、あるいは混乱の要因ともなっている。……(中略)……当面次の事項について、管内全町村、同一の態様によって処理することにいたしましたので、各事項について内容を充分理解すると共に執行の適正化に努めて下さい。……(中略)……組合の活動を行うための集会(支部会議、執行委員会、分会長会議、分会執行委員会等)について勤務時間中に給与を受けて参加できるのは、条例の定めるところによって年次有給休暇の承認を得た場合に限られる。従来からの慣行という表現によって、校長がこれを黙認したり、あるいはするところに正しいルールが確立されない要因がある。……(中略)……勤務時間中に、職務に専念する義務の免除を受け、組合活動に従事できる制度としては、組合休暇がある。

(5) これに先立ち、四月二三日には、教育局長らと北教組支部役員らとの話合いが行われ、教育局長から組合への協力申入れがなされたが、当時右通達中にある組合休暇制度については、昭和四三年一二月に組合休暇に関わる条例が制定されていたものの、その範囲等については人事委員会規則に委ねられ、未だその制定をみていなかったことから、組合休暇が行使できない状況下で組合休暇を使えという指導は不当ではないかとの組合側の指摘がなされ、結局協力承認は得られなかった。

(6) 四月末、本件通達を受けた各校長は、間もなく職員会議、朝会等の際にその内容を所属教職員に伝達した。これによって、各校長は、教職員に対し、以後の組合義務免の申請に対しては、これを承認せず、年休を使用するように事前に包括的に表示した。

(7) その後組合は、五月一五日、北教組支部代表委員会で、休暇闘争を含む通達撤回の闘いの方針を決定し、教育長会等に交渉を申し入れ、度々話合いが行われたが、教育長会としては六月二七日、通達を撤回ないし保留する考えはないことを明らかにし、七月一日、組合側の「年休を部分的に検討する用意がある。」との申入れに対し、七月四日からは北教組支部と教育長会との間で小委員会を設け、合意をはかることとなった。

この間、北教組支部からは、教育長会と支部の交渉が続いているので当面扱いは保留せよとの指導がなされたこともあり、教職員の中にはなお年休申請をせず、口頭義務免申請のみで勤務場所を離れるものがあり、これに対し各校長は原則として口頭義務免は承認できない旨及び年休をとるよう指導していたが、度重なる同趣旨の問答に、既に通達の趣旨は事前に包括的に伝達してあることもあって、時に明示的に不承認である旨応答しなかった者もあった(この点につき〈証拠略〉中の厚岸中学校の越智隆司、上尾幌中学校の藤本亨、厚岸小学校の丹保信子らの各供述記載中には、同校においては、義務免申請につき通達後も保留の扱いがとられていた旨述べる部分があり、原告越智及び同藤本はその本人尋問において同趣旨の供述をするけれども、前記認定のとおり既に通達の趣旨は事前に包括的に各教職員に対し伝達されていたのであるから、その都度不承認との明示の表示がなされなかったとしても、包括的に不承認である旨表示ずみであったと解すべきである。そして、その後各校長において右通達の内容を保留ないし撤回する旨表示した事情も窺われないことに徴すれば、義務免申請に対しては保留扱いではなく、包括的に不承認扱いであったと認めるのが相当である。)

(8) その後九月六日には、北教組釧路支部長から教育長会に対して「当面通達の規制に関しては保留にすること」を要求事項とする要求書が提出されており、これに対し教育長会から九月一六日付で「貴意に添いがたい。」との回答がなされている。

以上の各事実が認められ、本文中の括弧内に示したほか、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) 以上認定の事実によれば、原告木村等は組合用務のため所属学校長の承認を得ることなくその勤務場所を離れたものと認められ、明示又は黙示の承認があったとする原告らの主張は採用できない。また、前記認定の事実によれば、原告木村等が各校長から、その服務上の取扱いの検討は事後に留保しつつも、とりあえず学校を離れることについての承認を得ていたともいえない。

なお、前掲各証拠によると、一部の学校において出勤簿の記載が後日記入された事実のあることが明らかであるが、(人証略)の各証言によれば、右は、後日原告等から年休申請という形での協力が得られた場合、賃金カット等につきいかに処理するかという服務上の扱いを考慮して、整理を一部留保していたところ、後日確定したところを記入したものと解するのが相当であり、原告等があくまで義務免を主張する以上は、不承認である旨は、既に通達伝達により告知ずみであったというべきである。

(三) 更に原告らは、組合用務については義務免扱いとする慣行が定着していたと主張するが、右認定の事実によれば、義務免扱いは、北教組の調査によってもその定着率が未だ半数に満たないというのであって、当時地域に定着した一般的慣行であったとは認められないのみならず、地方公務員である原告等は、地公法三五条により、法律又は条例に特別の定めがある場合のほかは、その勤務時間のすべてにわたって地方公共団体の職務にのみ従事しなければならない義務、即ち職務専念義務を負っているのであるから、組合用務を口頭の申請で一般的に義務免扱いとすることは右法令に違反するものであり、当時一部の校長が、前記教員の職務の特殊性への配慮から、組合義務免の申請を事実上黙認する事態が生じていたとしても、かかる事実に対して、労働慣行としての法的効果を認める余地はなく、したがって勤務時間中の組合活動が適法なものとされることはないと解するのが相当である。

よって、校長らが不承認とした扱いは、定着した組合義務免慣行に違反し、違法であるとの主張も採用できず、組合用務関係についての原告らの反論はいずれも採用できない。

(四) なお、原告らは、原告一条美行が五月二二日勤務を欠いたことにつき、民教主催の会議に出席する場合は義務免扱いとする慣行であったと主張するところ、同原告が同日勤務を欠いたのが原告中村二雄とともに民教の事務局会議に出席するためであったことは、前認定のとおりである。しかしながら、(証拠略)によると、民教出席について研修義務免の承認を与えるか否かは、その研究会の主催者、性格等難しい要素があるので各校長の判断にまかされていたこと、原告中村は同日、年休をとって右会議に出席していたことがそれぞれ認められる。そして、原告一条については、同中村のように年休をとったと認めるに足りる証拠もなく、また校長の承認を得たと認めるに足りる証拠もない。

してみると、この点についての事実誤認は、本件処分の効力に影響を及ぼすものではない。

また、原告らは、適法な町教委交渉への出席は当然義務免扱いとされていたと主張するところ、六月二七日、原告木村敏伸及び同伊藤真澄が勤務を欠いたのが原告東出和夫らとともに町教委交渉に出席するためであったことは前認定のとおりである。しかしながら、仮に同原告らの同日の勤務場所の離脱につき義務免扱いにされるべきであったとの理由から、本件処分事実からはずされたとしても、同原告らの他の処分事実がいずれも認められることは前記あるいは後記認定のとおりである以上、同原告らの離脱時間の合計が被告道教委の設定した量定基準の最高時間数である四八時間を超過することは明らかであり、結局右事実の誤りは停職六か月との処分の相当性に影響を及ぼさない。

(本件自主研への参加関係)

(一) (証拠略)、原告木村敏伸、同越智隆司及び同前田英吉各本人尋問の結果(但し原告前田英吉本人尋問については後記採用しない部分を除く。)を総合すると、以下の事実が認められる。

(1) 厚岸は、その管内に多くの高度僻地地区をかかえた土地であり、単級複式授業、設備不足等の固有の問題をかかえていたこともあって、早くから教育研究会の重要性が意識され、昭和四〇年までは、厚岸町立教育研究所(以下「町研」という。)が中心となって校長以下町内の教員がほぼ全員参加する形で、年四回の研究会が開催されていた。右開催日は町内の全校が臨時休校となり、参加者は出張あるいは研修義務免の扱いとされた。

(2) 昭和四一年四月、町研の総会において、次のとおりの運営方針が報告された。

〈1〉 負担金一人三〇〇円は廃止する。

〈2〉 問題別研究は行わない。

〈3〉 教科研究部会を町内六会場に分かれて実施する。

〈4〉 町教委から指示された「道徳」のテーマを重点とする。

これに対し、僻地問題等を取り上げる問題別研究会が実施できないこと、テーマ選定、費用負担の自主性が損われることなどを理由に不満の声も存したが、同年度は右方針で実施された。

(3) 昭和四二年五月、厚岸支会は町研所長に対し、前年度の町研の運営には多くの問題点があったとして、問題別研究会を研究会の中に明確に位置づけるよう要望した。これに対し、町研所長、教育長らは、「問題別については組合活動が含まれているし政治的な色合いも強く、更に授業との関係もないので省いてある。一二時までは町研で使うから、あとは組合で問題別研究会に使えばよい。」との趣旨の回答をし、その後交渉を重ねた末、結局昭和四二年五月二七日開催の教育研究会は、町研と厚岸支会の共催という形で、名称も厚岸町教育推進大会と変更して開催された。そして、その内容は、全体集会九時から一〇時、教科部会一〇時から一一時、問題別部会(生活指導、生活職場、国民教育、僻地教育の四部会)一一時から一二時との日程で行われ、「平和を守り真実を貫く民主教育の確立」というスローガンが張り出された。

(4) 昭和四三年度は、昭和四二年一〇月二六日の人事院勧告完全実施要求統一行動に対する処分発令をめぐって町教委と北教組の関係が悪化し、町研も所員が送られないうえ、所長の任命も昭和四三年六月一五日ころまで遅れたため、同年六月二五日の教育研究会は、専ら厚岸支会の準備、運営のもと、厚岸支会主催、町研後援の形で行われた。町研後援ということもあり、各学校は臨時休校措置がとられたが、全体集会では組合の歌が合唱され、前記スローガンのほか、〈1〉文部研粉砕、〈2〉官制研粉砕、〈3〉特設道徳反対、〈4〉指導主事訪問反対等のスローガンも明確に掲げられた。

そこで町研側は、昭和四三年七月二六日及び同年九月二四日、厚岸支会役員らと話合いを行い、町研主催という形での研究会への協力、スローガンの一部撤回等を求めたが、北教組側がこれに応じぬまま、同年九月二七日の教育研究会は、前回同様厚岸支会主催、町研後援の形で行われた。そして、スローガンも〈1〉平和を守り真実を貫く民主教育を確立しよう、〈2〉教え子を再び戦場に送るな、〈3〉民族の課題に答える自主編成運動を進めよう、〈4〉教育の中央集権化に反対し、地域父母の教育要求に答えよう、〈5〉自主、民主、公開の三原則を貫く自主教研を発展させよう、といった内容が掲げられた。

(5) 昭和四四年三月には、後援という形で町研に名前を貸すだけでスローガン等に注文をつけられるというそれまでの運営のあり方につき、北教組内部から批判が出て、名実ともに独自の研究所を作るべきだという要求が強く出された。このような機運の中で、三月九日(日曜日)に「自主研三月集会」が開催され、組合立研究所を設立することが討議された。そして当日、会場校の校長室において、町教委、町研、校長会、厚岸支会の各役員が集まり、今後の研究会のあり方につき話合いがなされたが、席上町研側は、自主研のスローガンは認められないと主張し、他方北教組側は、そうであれば組合立研究所を作って独自の研修を進めると主張して譲らず、町研側ももはや両者の接点を求めても無理と判断し、今後自主研への参加は保障できない旨申し渡した。

(6) 以上の経緯で、三月二三日、「自主研発展のため、反動的研究体制と対決のため」との趣旨を掲げ、厚岸支会立研究所が設立され、四月一三日には、自主研五月集会等年間の計画が作成された。

(7) 五月一三日、厚岸支会立研究所長らは、町教委に対し、支会立研究所の役員、予算、内容等を説明したうえ、支会立研究所所員会議への出席を義務免扱いとすること、自主研を五月二四日に予定しているので臨時休校措置を認めてもらいたいことを要求し、町研と一緒にやれるものは一緒にやりたい旨提案したが、これに対し、教育長は、組合立研究所が主催して行う教育研究活動は組合活動であり、義務免は認められないし、臨時休校措置も認めない。所員会議についても義務免は認められない旨回答した。

(8) その後、五月二四日に予定されていた自主研は、厚岸大橋のパレードが重なった関係から六月二四日(火曜日)に変更され、六月一七日、厚岸支会側は町教委に対し、再度、六月二四日の自主研(本件自主研)の義務免扱いを要求した。これに対し、教育長は、組合活動であるから義務免は認められない旨再度確認するとともに、町研と共催の形をとるなら考慮する旨の回答をした。

そこで、厚岸支会側は、六月二〇日町研所長宅を訪れ、〈1〉六月二四日厚岸支会立研究所主催の自主研を予定しているが、一緒にやれる条件がないか話合いにきたこと、〈2〉構想、内容は決っており変更できないこと、〈3〉具体的にイメージとして描くなら前年五月集会のような形になることなどを伝えた。これに対し、町研所長は、既に内容の変更はできないとのことでもあり、これまでの経緯から話合いの余地はもはや存しないと考えたが、翌日校長会議が開かれるので、これにはかって事情が変われば連絡する旨回答した。

六月二一日校長会では、町研所長の事情説明ののち、校長全員一致で〈1〉本件自主研についての共催、後援はしないこと、〈2〉許容されている人数分の年休は希望があれば許可するが、それ以上は承認できないこと、〈3〉義務免申請は不承認とすることに意思統一がなされた。

(9) 各校長は、六月二一日の校長会決議に基づき、原告等からの義務免申請に対し、事前にあるいは当日の朝、義務免は承認できない旨申し渡した(この点につき真竜小学校の原告前田英吉は、その本人尋問において、不承認ということは行く前にはわからなかった旨述べるけれども、これに反する〈証拠略〉の吉田亨の供述記載内容に照らして採用できない。)。

(10) 以上のような状況の下で本件自主研が開催されたのである。

本件自主研は、九時から一二時まで全体集会、一二時四〇分から一四時まで問題別部会、一四時一〇分から一五時五〇分まで教科別部会、一五時五〇分から一六時まで全体集会という日程で開催され、教科別部会、問題別部会とも、地域に根ざした問題意識に基づき熱心な討議が行われた。ここでの討議は、その後各教員により日常の教育実践に生かされ、その後「厚岸子ども白書」の発刊や、地域に根ざした副読本の発行に結びつく原動力ともなった。

一方、スローガンとして「平和を守り真実をつらぬく民主教育の確立、教え子を再び戦場に送るな」という内容が掲げられ、サブスローガンとして、〈1〉研修権を確立しよう、〈2〉地域父母との共闘を深めよう、〈3〉教育課程の自編運動を進めよう、〈4〉官制研を粉砕しよう、〈5〉指導主事の学校訪問を阻止しよう、という内容が開催要項冒頭に掲げられたほか、同要項には組合歌である「緑の山河」が印刷され、全体集会でも合唱された。

以上の各事実が認められ、本文中括弧内に示したほか、右認定を覆するに足りる証拠はない。

(二) 以上認定の事実によれば、原告等は本件自主研参加のため所属学校長の承認を得ることなくその勤務場所を離れたものと認められ、明示又は黙示の承認があったとする原告らの主張は採用できない。また、前記認定の事実によれば、原告等が各校長から、その服務上の扱いの検討は事実に留保しつつも、とりあえず学校を離れることについての承認を得ていたともいえない。

更に、原告らは、厚岸町においては、本件自主研まで、全町的規模で開催される教育研究集会等には、参加者が各学校長に対し研究会参加の意思と日時を口頭で届出すれば義務免扱いとする慣行が定着していたから、校長らの不承認とする扱いは右慣行に反して違法である旨主張する。そこで検討するに、確かに厚岸町において、それまで全町的教育研究会への参加に出張ないし義務免の扱いがとられていたことは前記認定のとおりであるが、一方、それは右研究集会の内容、主催者、開催までの歴史的背景を踏まえての事実上の取扱いであって、およそ一般的に全町的規模の研究集会であれば義務免扱いとするという慣行に基づくものでなかったことは前記認定の本件自主研までの経緯に照らして明らかであるから、右慣行が定着していたことを前提とする原告らの主張は採用できない。

(三) 次に、原告らは、校長らは授業に支障のない限り教特法二〇条二項の承認を与えるべく、このことは憲法二三条、二六条、教特法一九条、二〇条により覊束されており、校長らの不承認とする扱いは右法規に反して違法である旨主張するので、以下に検討する。

教師にとって研修は、その職責遂行のための不可欠の要素であり、教特法一九条及び二〇条一項は、教育公務員の研究、修養に対する努力義務を理念的、職業倫理的に規定するとともに、任命権者にもその助成措置を講じ、あるいは可及的に研修参加への機会を与えるべく、一般的義務を定めている。教師という職務の自主性、自発性に鑑みれば、右研修は任命権者の行う研修に限らず、教育公務員各自の自主的、自発的な研修も当然含むものと解せられる。しかしながら、他方、教育公務員も公務員たる身分を有し、第一次的には本来的職務として勤務場所での授業その他の日常的業務を有している関係から、教特法二〇条二項は、教員が勤務場所を離れて研修を行おうとするときは本属長の承認を受けることを要求し、教員の申請にかかる行為が授業に支障がないかどうか、研修と称する行為が右離脱を相当とすべき研修にあたるか否かを服務監督権者にまず判断させることによって、校務の運営と研修との調和をはかったものと解するのが相当である。したがって、本属長としては、およそ研修という名目の申し出であれば授業に支障のない限り全て承認しなければならないというものではなく、右研修と称するものが職務専念義務を免除するのを相当としうるような実態を持った研修であるか否かにつき、その様態、場所、性格等のほか教育公務員としての身分に伴う参加の相当性等諸般の事情を考慮して総合的に判断する必要があり、また、授業の支障についても、単に予定された授業時間の授業計画を欠くこと自体だけではなく、授業と密接に関連する教育課程の編成、諸計画の立案、学校運営上の校務分担等に伴う各種業務も含め、実質的に支障を及ぼすか否かの見地から総合的に判断すべきである。

原告らは、校長らは一見明白に教育活動との関連性が否定される場合を除き、各教師の判断を尊重して承認すべく覊束されている旨主張し、(証拠略)によれば東京大学教育学部教育行政学講座教授牧柾名も同趣旨の見解を述べていることが認められるけれども、教特法二〇条二項の本属長の承認には、服務監督権者として多岐事項にわたっての総合判断が要求されていると解すべきことは前記のとおりであって、右原告らの主張は採用できない。

そこで、次に本件自主研への参加について不承認の扱いをなした校長らの判断の相当性につき検討する。

本件自主研は、前記認定の事実によれば、一面教員の自主的研修の場たる意義を有すると共に、他面、教職員組合の実践活動としての面を有しているから、これに参加する教員は、自主的研修を行うものであると同時に、これと不可分一体のものとして職員団体のための活動を行っていると評さざるをえない。そして、本属長が承認、不承認を判断するにあたっては、研修と称するものが職務専念義務の免除を相当としうるような研修の実態を有するか否かに関し、その集会の性格等を広く総合的に考慮しうること前記のとおりであって、前記認定の本件自主研の二面性に照らせばいずれの面が優越しているものともいえないから、そのいずれに着目して判断をするも校長の合理的裁量権の範囲内と認められ、右比較衡量の判断に裁量権の濫用ないし逸脱があるとは認め難い。

よって、校長の不承認扱いが、法規に反し違法であるとの原告らの主張も採用できない。

4  次に原告らは、本件処分及び本件裁決は、本事案の特別事情を配慮すべき義務を怠り、処分権の範囲を逸脱した違法があるから、懲戒権の濫用である旨主張するので検討する。

(本件自主研関係)

(一) 前段の(本件自主研への参加関係)(一)の冒頭に掲げた各証拠によれば、厚岸という僻地において、教師がその日常の教育活動を行うため、地域の教師間による自主的、自発的な教育研究が極めて有意義なものであったことが認められ、本件自主研も研修としての内容と意義を有し、この地域の教育発展に少なからぬ成果を残したこと、前年度までの教育研究会は、町研との共催又は町研の後援という形式がとられており、原告等が本件自主研に参加することによって生じた事態は、一日の職場離脱であり、町教育行政当局とぎりぎりまで交渉を重ねたことは、前段認定のとおりである。

(二) しかしながら他面、町研又は町教委側においても、昭和四二年ころから、教育研究会に組合活動ないし政治活動の色合いがあるとし、これをなくすよう組合側と交渉を重ねたが折合いがつかず、ついに組合立研究所が設立され、本件自主研はその主催で行われたもので、組合活動としての性格も多分に帯有するものであったこと、そして各校長は本件自主研が右のようなものである限り義務免は承認できない旨明示していたことも前段認定のとおりである。原告らは、本件自主研への参加について、ほとんどの学校では、学校を離れること自体は承認されていたと主張するが、本件自主研参加にあたり、年休申請の手続がとられれば格別、口頭義務免の申請に対しては学校を離れることが不承認とされていたことは前記認定のとおりであるし、更に、原告らは、当日の各学校事務に必要な手立てがとられていた旨主張するが、(証拠略)によれば、当日はほとんどの教員の一斉職場離脱であったと認められ、その際授業の振りかわり等の措置がとられていたと認めるに足りる的確な証拠もなく、必要な手立てがとられていたとは認められない。そしてこのような態様で行われた教師の一斉職場離脱に対しては、湖南、湖北地区の父兄らを中心に「教育を守る会」が結成され、これでは教育的効果があがらないとの批判があったことが(証拠略)に照らし明らかである。また、原告らは、出勤簿に改ざんが加えられたと主張するが、これが理由のないことは、後記(組合活動関係)の(二)に示すとおりである。

(三) 以上のような事実関係に基づいて考えると、本件処分及び本件裁決が著しく妥当性を欠き、懲戒権の濫用があったとは認められない。

(組合活動関係)

(一) 原告らは、組合活動に伴い勤務場所を離れる場合には、義務免扱いとする慣行が存在していた旨主張し、なるほど組合用務につき義務免扱いとしていた事例の存したことは事実であるが、これが法的な効果を有する程の慣行として定着していたとはいえないこと、前段設示のとおりである。したがってこのような慣行があることを前提とする原告らの主張は理由がない。

(二) また原告らは、本件通達の取扱いをめぐって、北教組支部と教育長会との話合いが行われ、各学校では時間内組合活動についての取扱いを一時留保していたのに、学校日誌、出勤簿の改ざんをして処分の内申が行われたものである旨主張する。しかし、前記認定のとおり、組合用務を義務免扱いとする慣行はそもそも存在していたとはいえず、各学校で取扱いを留保していた事実も存しないうえ、(人証略)の各証言によれば、学校日誌、出勤簿の記載は後日整理された際に確定したところが記入されたものであって、改ざんされたものとは認められないのであるから、原告らの右主張は理由がない。

(三) また原告らは、一五時以降に勤務を欠いたことは授業への影響がなかったと主張するが、仮にそうであるとしても、授業に直接の影響さえなければ勤務時間中の組合活動が是認されることになる訳でないことも勿論であって、この時間帯の勤務を欠いた時間数を加算して処分の対象とすることには何らの不当もない。

(四) 次に原告らは、原告越智隆司は、六月二三日、同月二七日、七月一六日に校務に従事しているのであるから、これらの事実を考慮しないで右の時間数を勤務を欠いた時間数に加算して処分したことは妥当性を欠く旨主張する。そこで検討するに、同原告が右三日間、組合用務に従事したのち、そのついでに校務処理をしたことは前認定のとおりであるが、事前に校長に対し校務に従事する旨の申し出がなされておらず、同原告は、単に組合用務である旨述べただけで出掛けており、校長が校務出張を命じたわけではないことも前認定のとおりであって、校務処理のために要した時間を明確に区分することが不可能ないし困難であることを合わせ考えると、校務処理に要した時間数を考慮することなく同日の離脱を全体として処分の対象とした被告道教委の判断が、社会通念上著しく妥当性を欠くものとはいえない。

(五) 原告らは、被告道教委が厚岸中学校及び尾幌中学校の勤務時間を七時間半とすべきところ、八時間と誤って計算し、その結果、処分の量定が不当であると主張し、被告道教委が右二校の勤務時間を八時間として計算したことは当事者間に争いがない。しかしながら右二校の勤務時間(休憩時間を除く。)が八時間であったことは前記認定のとおりであるから、被告道教委の計算に何ら誤りはない。

(六) 原告らは、原告丹保信子の七月一五日の行為に対する処分について、同日は厚岸神社の祭典日で、一時間授業後は町内会毎に数人の教員間で分担を決めて校外補導にあたることになっていたところ、原告丹保は分担割当からはずされていた事情があるのに、これらを考慮せず処分することは妥当性を欠く旨主張する。そこで検討するに、(証拠略)によれば、七月一五日は厚岸神社の祭典であり、一時間授業ののち、みこしにつかない教師は全員で校外補導にあたるという取決めがなされていたこと、この年は特に、指導につく者と帰って休む者がいるのは不公平であるから、全員で校外補導にあたるという話合いがなされ、その結果右のような取決めがなされたこと、同日同校の一戸、渡辺、栗田、桜庭らは勤務を離れるにつき年休をとっており、右計算上も同日の勤務時間は八時間とされていること、しかるに原告丹保は、組合業務のため義務免で出たい旨申し出て、校長から組合業務であれば義務免は認められない旨告げられながら勤務場所を離れたことがそれぞれ認められる。右事実によれば、原告丹保は、同日も通常の勤務時間校外補導にあたるべく拘束されていたと認められ、勤務を拘束するという話ではなかったとする(証拠略)中の原告丹保の供述記載は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない、したがって、同原告の勤務離脱時間に関する被告道教委の計算に誤りはない。

以上いずれの事実も、本件処分及び本件裁決が社会通念上著しく妥当性を欠き、処分権の範囲を逸脱したと認めさせるに足りず、他にこれを認めさせるに足りる事実の主張立証もないから、本件処分及び本件裁決が懲戒権の濫用であるという原告らの主張は採用できない。

5  原告らは、本件処分には、比例、平等原則違反がある旨主張するので、この点につき検討する。

(一)  まず、原告らは、本件当時釧路管内の他町村では勤務時間内の組合活動について厚岸町と同様義務免の取扱いがなされていたのに、厚岸町管内の原告等のみが違法として処分されたものであり、原告等をねらった不公平な処分である旨主張する。しかしながら、地教行法三八条一項によれば、被告道教委は教職員の懲戒処分を行うにつき、市町村教育委員会からの内申をまってなすべきものとされているから、その結果町村ごとに取扱いが分かれたとしても、このことから直ちに当該処分が原告等をねらった不公平な処分であると推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。よって、原告らの右主張は採用できない。

(二)  原告らは、超勤訴訟の準備手続期日への出頭が処分の対象とされたのは、被告道人委で行われる公平審理の申立人本人として出頭する場合に義務免が認められていたことと均衡を失する旨主張する。しかしながら、超勤訴訟の準備手続期日への出頭を義務免扱いとするのが相当であると認めるに足りる証拠はなく、また、公平審理に申立人本人として出頭する場合に義務免が認められていたと認定するに足りる証拠もないから、原告らの右主張は採用できない。

(三)  六月二七日の町教委交渉出席については、前記三2(一)及び同3(組合用務関係)(四)記載のとおりであり、処分の相当性に影響を及ぼす事由とはなり得ない。

(四)  原告らは、五月二二日、原告中村二雄と民教に出席した同一条美行のみ処分の対象とされるのは不公平である旨主張するが、原告中村は年休をとって出席したのに対し、原告一条が年休をとり、又は校長の承認を得たと認めるに足りる証拠がないことは前示のとおりであるから、両者の間に何ら不公平はない。

以上、いずれの点においても、本件処分に比例、平等原則違反は認められない。

6  次に、原告らは、本件処分は、原告木村等の正当な組合活動を嫌悪し、憲法二八条の保障に根ざす勤務時間内の組合活動を認める労働慣行を無視してなされたものであるから、地公法五六条に違反する旨主張する。しかし、地公法三五条が職務専念義務を規定し、同法五五条の二第六項が給与を受けながら職員団体のための活動に従事することを原則として禁じている趣旨からしても、勤務時間内の組合活動を一般的に認める労働慣行が存しないことは明らかであって、原告らの右主張は採用できない。

7  次に、原告らは本件処分及び本件裁決はあまりに過酷すぎ、著しく妥当性を欠く旨主張する。

(証拠略)によれば、原告等が本件処分により、直接経済的不利益を負わされたこと、北海道教育委員会教育長の各地方教育局長及び学校長宛の通達があり、この通達によると、懲戒処分を受けた学校職員の昇給は、勤務成績の良好であるとの証明を得られないものとして、最短期間で昇給させないものとし、この昇給延伸の期間は、停職期間が三月を超え六月以降の場合が六月、停職期間が三月以下の場合が三月、減給及び戒告の場合が三月とされ、この通達のように運用されていたところ、原告等は本件処分及び本件裁決がなされた結果、昇給が延伸され、相当額の経済的不利益を負わされるに至っていることが認められるけれども、右不利益の程度が、本件で認定した一切の事情を考慮しても社会通念上著しく妥当性を欠くとはいまだ認められず、よってこの点に関する原告らの主張も採用できない。

四  以上説示したとおりであって、ほかに本件処分及び本件裁決を違法とすべき事由も見出し得ないから、原告らの請求はいずれも理由がなく、よってこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 北澤晶 裁判官 秋吉仁美 裁判長裁判官原健三郎は、転補につき署名捺印することができない。裁判官 北澤晶)

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